何者でもありませぬが
日々の出来事
面白かったこと
そんな些細なことを
ただ気ままに書くだけです
2月末くらいのお話
お世話になっている林檎屋さんの店長が、最近SNSを始めた。
お客さんとの偶然の出会いを醍醐味に、今も尚『行商』というスタイルを貫き続けている店長がだ。
「なぜ?」
一番に思った。なぜ店長が?
約2年という短い時間ではあったが、僕も林檎売りを経験した身として、SNSが行商というスタイルからかなり真逆の位置付けにあると考えていたからだ。
行商には、表面上で取り繕えない面白さがあった。
嘘をついていたらすぐにお客さんにバレる。つまり売り上げ的に言うと買ってくれない。それが一番不思議で面白かった。
正直にシンプルに、素の自分でいなければお客さんには伝わらなかった。
真逆じゃないか。
SNSなんて嘘と建前の巣窟だろう。直接会ったことのない人間をイメージで判断する僕ら。人気モデルが南青山や表参道でオシャレな昼食を食べている写真を上げていたとしても、家に帰ったらカップヌードルをあぐらかいて食べてるかもしれないのに。(それはそれで嫌いじゃない)
「まぁ色々思うことがあったのだろう」と、いつも通り「なぜ?」を追求しきれない僕は日々のバイトに時間を費やしていたわけだが、今日、その「なぜ」が「なるほど」に変わる出来事があった。
#コロナきっかけの縁
早朝、バイトから帰宅し、日が昇り始めた頃に布団に入る。
昼過ぎに目が覚めて、意味もなくSNSを開く自分に嫌気がさしながらiPhoneの画面をなぞっていると、店長のツイートが目に入った。
手書きのメモを撮った画像と共に添えられていた呟きには『拡散希望』の文字。
そして見たことのないハッシュタグ。
『#コロナきっかけの縁』
世間を賑わせているコロナウイルスだが、個人で活動している人や団体の商機に変えてしまおうというめちゃくちゃポジティブな発想だ。
個人の対策には限界があるし、どうせ何かやろうとしたって影響力のない自分には何もできないだろうと、考えることすら諦めてしまっていた僕にとって、このハッシュタグ、いや、店長の発想と行動は輝いて見えた。
何より一番嬉しかったことは、SNSを介しているはずなのに、店長の呟きからは『直接会って話している』ような感覚を覚えたことだ。
なぜだろう。
きっとそれは、自分のためとか売名行為とか、SNS上で散見する一切の類がなくて、みんなのチャンスに変えてしまえばいいという気持ちが本気且つストレートに込められているからだろう。
CURIOCITYを始めて、ホームページが出来上がった。
土台は出来上がったし、現在進行形でやりたいことや企画も検討している。
しかし、なかなか表に出せない(動けない)状況が続いている。
そんな状況に若干苛立っていたが、今日、そもそも始めたきっかけを思い出した。
『面白いと思うことを発信する』
難しく考えすぎていた。これだけのはずだったのに。
カッコつけすぎていました。福田、反省。
どうせ何者でもない自分にも、面白いと思えることはある。
誰に向けて書いているわけでもないけれど、僕の些細な言葉が誰かの元に届いたら、
それもまた面白いじゃないか。
シンプルな気持ちに気づかせてくれた店長に感謝。
大したことはできませぬが
この試みが、少しでも拡がれば面白いなという気持ちと共に。
何者でもありませぬが。
writing : Shuhei Fukuda
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